深田建具店

道具紹介

金四郎

金四郎(道具名:毛引き)

一度使ったら良さがはっきりと解る「金四郎作 鎌毛引き」。

鎌毛引きは一種の筋毛引きで、これは鉄製の棹(さお)の先端を折り曲げて毛引き刃にし、作り棹はさらに木製の引樋型の棹溝の中に仕込まれるようになっています。

毛引き刃の距離を調整するには、定規板の上部に取り付けた止めネジによって棹を固定します。鎌毛引き(2丁引き)はホゾ毛引きとして、二線を同時に毛引きすることもできます。

吸い込まれるような刃、抵抗なくスライドする棹、職人のこだわりを感じさせる道具です。

金四郎

幸三郎(道具名:かなづち)

越後三条の鍛冶で近年、名工の名を欲しいままにした長谷川幸三郎は玄能鍛冶、故長谷川貫一郎の義理の弟として玄能の製造の修行しますが、独立後、独自の研究をして玄能を芸術品にまで高めたと言われています。

金四郎

清忠(道具名:ノミ)

かつて「鋼」研究の第一人者として知られた新潟三条の岩崎航介氏が、4人の東京鑿鍛冶名人が鍛った鑿を鑑定し、第一として推したのが「清忠」の鑿で、「清忠」の鑿は日本一の東京の第一なのであるから正真正銘の日本一の鑿であるとの話が残されています。

この「清忠」は初代が島村忠五郎で、明治23年現在の横浜市港北区日吉に生まれ、15歳のとき名古屋の野鍛冶のところに弟子入りし、鎌・鍬・鋤などの農具造りを修業。やがて鑿などを鍛つことに興味をおぼえ、独学でいろいろと努力と工夫を重ね、鑿鍛冶として自立する決心と自信をつけて東京へ上京、やがて大正13年生まれの息子の幸三郎が、15か16歳頃に父である初代「清忠」のもとで鑿鍛冶の修業を始め、二代目としての研鑽を積みました。

すべて手作業でやって来た「清忠」は、昭和33年頃からスプリングハンマーやグラインダーを使い出しましたが、多くの鑿鍛冶のようにグラインダーをかけただけで荒仕上げを済ませるのでなく、さらに手でヤスリやセンをかける鍛冶職としてのこだわり、律儀さがありました。このような父子二人の細やかな一つ一つのことが、日本一という「清忠」鑿伝説を作り出した源なのかもしれません。

初代「清忠」が亡くなった後、二代目「清忠」は息子の清忠と一緒に鑿を鍛っていましたが、平成16年頃に鑿を鍛つのをやめました。